とある講師の冒険譚

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【歴史】幻の製糸場「葵町製糸場」を3D映像・模型で復元!

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明治初期に東京の虎ノ門にあった「葵町製糸場」を、東京農工大学科学博物館が当時の図面をもとに3D映像と模型で復元した。「葵町製糸場」は1873年(明治6年)から数年間しか稼働しなかったため、資料が少なく「幻の製糸場」と言われてきたが、今回約150年ぶりにその姿が形となった。

今回はこの「葵町製糸場」について、その歴史と博物館における展示内容について紹介します!

 

 

「葵町製糸場」の歴史

明治政府の殖産興業政策と製糸業

製糸業とは?

製糸業」とは(かいこ)から「絹織物」の原材料となる「生糸」を生産する産業である。「蚕の繭 ⇒ 生糸」が「製糸業」というわけである。この「生糸」を精錬したものが「絹糸(シルク)」で、それを織ったものが「絹織物」となります。

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明治時代から昭和初期にかけて「生糸」と「絹織物」は日本の外貨獲得にとって重要な商品であった。このため「製糸業」といえば、主に「生糸」の製造業のことを指して使われるようになったわけです。

※ちなみに綿花や羊毛から糸を紡ぐ産業は「紡績業」という。

 

 

明治政府の殖産興業政策

日米修好通商条約(1858年)締結による横浜開港(1859年)当時、ヨーロッパ諸国の蚕は「微粒子病(蚕の病気の一種)」による打撃を受けていた。日本産の生糸は中国産に劣らぬ品質をもつものとして評価されたため、「生糸」は明治期にかけて日本の輸出品の中心となった。

そのため、製糸業は明治政府の「殖産興業」政策の要として位置づけられました。

明治政府は生糸の増産とヨーロッパから導入した製糸技術の吸収・普及のため、官営の製糸場を各地に建設しました。1872年(明治5年)につくられた「富岡製糸場」は蒸気機関を用いるフランス式の技術を導入した官営模範工場として有名で、現存する施設が世界遺産に登録(2014年)されたことで話題になりましたよね?

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「富岡製糸場」に関しては多くの著作が出版されています。今回の「葵町製糸場」について詳しく知るためにもおすすめの本を紹介しておきます!

こちらは写真や図が豊富で読みやすくなっています。 

 

こちらは中公新書ラクレで新版が出ていますのでそちらがおすすめです!

 

どちらも新書版なので1日で読めますのでおすすめの2冊です!

 

 

「葵町製糸場」の歴史的役割

1873年(明治6年)には、東京都心部に水車を用いるイタリア式の技術を導入した「葵町製糸場」を開設された。「葵町製糸場」は数年稼働したのみだが、官営模範工場として「笠岡製糸場」(岡山県笠岡市)のモデルとなり、近代産業としての「製糸業」の西日本への伝播に役割を果たしたとみられる。

「葵町製糸場」の技術が「笠岡製糸場」へと伝わった後に島根県や愛媛県では「笠岡製糸場」を模倣した製糸場が開業されるなど、イタリア式の技術が西日本に波及したことが分かる。そのため、近年では「第2の富岡製糸場」として研究者の間で注目されている。

 

 

東京農工大学科学博物館における研究・展示

東京農工大学科学博物館における研究

「葵町製糸場」に関する資料の新発見

「葵町製糸場」に関する資料は2017年に東京大学の 鈴木淳教授(日本近代史)が東京農工大学科学博物館の依頼を受けて、同博物館の所蔵品を調査する中で発見された。

「葵町製糸場」に関する資料は全部で41点あり、工場主要部の繰糸場のほか機械の構造や配置の詳細な図面もあり、そこには建物や機械の縮尺・寸法が記載されていた。

今回発見された図面は和紙の封筒に入れられ、表紙には「教師イタリア人勧工寮伝習製糸器械絵図」と記されていた。葵町製糸場の正式名称が「工部省勧工寮製糸場」であったため、図面が「葵町製糸場」のものであることが判明した。

 

 

「葵町製糸場」式技術の西日本への伝播

今回発見された図面から「葵町製糸場」には当時貴重だったレンガが3万枚も用いられ、高さ約9m の煙突を12本備えていたことが分かった。「葵町製糸場」は「富岡製糸場」に続いて2番目に建設された官営模範工場であるため、国家の威信を示すような重厚な建物だったと考えられる。

封筒の裏面には「海老原章利」と墨書され、図面にも「海老原」と割り印があったそうで、鈴木教授は「葵町製糸場」が建設中だった1872年(明治5年)に技術伝習の目的で小田県(現在の広島県・岡山県の一部)から派遣されてきた「海老原虎太郎」と同一人物だと推定した。

小田県では後に「笠岡製糸場」が開設されるが、その際に「葵町製糸場」の技術が採用されたと考えられる。「葵町製糸場」式の技術が西日本に伝播したのである。

 

 

東京農工大学科学博物館の展示

東京農工大学科学博物館では「葵町製糸場」の図面の発見を受けて、昨年から3D映像と模型での復元作業に着手した。費用はクラウドファンディングによって調達された(https://readyfor.jp/projects/aoimachi)。

復元作業は博物館の斉藤有里加特任助教を中心に、研究者や技術者、学生らの協力のもと図面から寸法を読み取り、コンピューターに入力する作業を進めていった。

作業を進めていくと図面には一部の部品が描かれていない所が見つかった。その部分は同博物館が所蔵する繰糸器の動きなどから分析して映像として再現していったそうです。

 詳細については同博物館のサイトをご参照ください。

www.tuat-museum.org

 

また、新型コロナウイルス感染拡大の影響で同博物館は閉館中のため、サイトでは今回完成した3D映像と模型が期間限定(5月13日~6月30日)で公開されています。この機会にぜひ観てみてください \(^o^)/


工部省勧工寮葵町製糸場 図面復元3D動画


東京農工大学科学博物館 勧工寮葵町製糸場図面復元プロジェクトプレ展示

 

 

最後に…

今回は「歴史」に関するテーマ第2弾となった。私の専門分野が「歴史(特に日本史)」なので、ネタは豊富にあって記事にしていきたいのだが…

  • 1つのテーマで書くのに調べる時間と労力がかなり必要となる
  • 図や写真などを多用したいが著作権や肖像権の関係上難しく、文章だけでは内容が伝わりづらい
  • 専門用語が多くなってしまうため、解説をどの程度まで掘り下げればよいのか、その線引きが難しい

などの理由からためらっていたが、今後は少しずつ紹介していければなぁ……と考えています。実際に今回の記事を書くために2日はかかってしまいました (~O~;)

 

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